エリート
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エリート(仏:élite)とは社会の中で優秀な能力や影響力を持つ人間や集団を言う。
概要 [編集]
社会においてエリートは指導的な影響力を持っている。社会科学的には社会システムの上位を占める集団であり、高度な権力、戦力、財産、知識、名誉などの諸価値を保有する。そしてそれらを用いて社会の各分野や職業集団でその構成員の態度や行動を主導することができる。
エリートは試験や訓練を通してふるいに掛けられ、厳選されて教育を受けてきた存在である。そのような人は組織にとって財産でもあるため、人材の一種といえよう。
「人は平等である」(ともすれば「人は同等である」とも)という考え方からすれば対極とも考えられる概念であるが、社会全体の機能を考慮した場合、失敗が許されない重大な局面に於いて特定の分野に優れたエリート集団に、その処理が任される事は不思議なことではない。この点から、エリートは社会的な分業体制の一端として捉えることもできる。
世界的にも、古くから様々なエリート育成コースが存在しており、これらでは特に適性のある者を専門に教育する事で、社会的に有益で優秀な人材を輩出している。この過程を経て社会で活躍する人は多く、高い給金や生活の保証・能力の発揮に必要な権力の提供などが補償されるなど、それなりの社会的地位を持って優遇されている事も多い。
ただし近年では、様々な社会問題において対応の失敗や未解決となっている案件も多く、その延長でこれらの解決にあたっているエリートが批判されたり、エリート教育を受けた者でも低く評価される学歴難民などの問題も指摘される。
また、このように、エリートを批判する傾向は、子ども達の「学習する意欲や関心の減退」という問題の一因でないかという指摘もある。一方で、テレビ等のマスコミがエリートを批判するのは、小市民のエリートに対するルサンチマンをくすぐり、視聴率を上げるためだとの指摘もある。
語源 [編集]
エリュシオンはギリシア神話に登場する死後の楽園。「エリート」の語源になったと言われている。
なお、エリートはもともとラテン語で「神に選ばれた者」のことを指す。神に選ばれるというのはキリストに代表されるように、他人のために死ぬ用意ができているということであり、結局、「自分の利害得失と関係なく他人や物事のために尽くせる人」、を意味する。したがって、ラテン語でのエリートとは「人」について使う言葉であって、地位とか階級に使う言葉ではない。
エリートと呼ばれる対象 [編集]
やや定義が曖昧で、人によって「エリート」に対するイメージは異なり、学歴や年収、能力などにおいて、平均的な水準を大きく上回っている状態、もしくはそういった状態にある人を指す場合も見られる。ただし、原語(ラテン語)の意味からすれば、些か誤用の感もある。
しかし、現在の日本においては、学歴や能力の優秀さで「エリート」を決める、というようなイメージが根強い。森嶋通夫は、日本に限らず現代世界のエリートの分布状態を、民主制の基盤たる素人主義に対する玄人主義ないし専門家主義という言葉で位置づけている[1]。
よって、有名大学卒などの学歴でエリートかどうかを判断することもあれば、三大国家資格である弁護士、公認会計士や医師など、肩書き(職業)で判断する事も多くある。 また、ある組織・集団の中で、ごく少数の有能な人間だけを集めて「エリート集団、エリート部隊」などと呼ぶ事もある。 いずれにせよ、難関を潜り抜けて高度な教育を受け、または論理的に思考するよう訓練を受けているこれらの人々はエリートの範疇といえよう。
類型 [編集]
ミルズはエリート理論においてエリートを主に三つに分類し、政治エリート、軍事エリート、経済エリートに分類した。これらはそれぞれの領域で政策決定の権限を独占しながら、各方面で利益を共有する利益共同体である。
政治エリート [編集]
政治エリートは国家を指導する政府と行政機関を構成する人々である。政策実施の意思決定を主導する観点から政策エリートとも言う。その発生は行政機関の機能拡大、大衆社会の成立、中間団体の消失などによる。なおガエターノ・モスカ、ロベルト・ミヒェルス、ヴィルフレド・パレートなどが政治的エリートについて論じている(寡頭制、寡頭制の鉄則を参照)
経済エリート [編集]
経済やビジネスの分野で十分な教育と経験を積んだ人々は、経済エリートに属する。ブランド大学やいわゆる「名門校」では、卒業生達が巨大企業に幹部候補のビジネスマンとして採用されるが、これは特定の大学が商工業と強い結び付きがあるためであり、「財界エリート」輩出の基盤となっている。また、理学工学の分野でも、一部の教授や研究室が特定分野で大きな影響力を持っているといったように、エリート志向の傾向が見られる。
軍事エリート [編集]
軍事エリートは軍部において意思決定を主導する人々であり、軍令機関の高級将校や軍事行政機関の高級官僚がこれに当たる。軍事情報や専門的な軍事知識を保有し、さらに外敵の脅威を主張することによって軍事エリートは国内において社会に対する強制力や影響力を強化し、政府や財界に対する発言力や影響力を確保することができる。
他のエリート [編集]
- 文化的エリート
- 文学や芸能、芸術の分野において十分な教育と経験を積んだ人々は、文化的エリートに属する。左記の分野は、未経験者が安易に参入できるものではなく、事実上のエリート集団によって構成されているといって差し支えない。但し、大衆文化に関してはその限りではない。もっとも、親から子への文化資本の継承という観点から、大衆文化においてもエリート層が成立しているのが実体である。
- スポーツエリート
- スポーツの分野でも、親の英才教育によって小さい頃から専門的に育てられたいわゆる「スポーツエリート」も見られるが、これはどちらかというと、個人がそのように選択し、望んでより良い環境を求めて育ってきた反面、当人の資質に負う所も大きく、個人属性としての「優秀なスポーツマン」と見なされる事は在っても、厳密な意味でのスポーツエリートは極めて稀な存在といえよう。
- ただし以前の旧共産・社会主義圏においては、稀というわけではなかった。1980年代頃まで、東西冷戦時下の関係により、国威発揚と民主・自由経済陣営に対する牽制の一種として、国家がスポンサーに付いていたり、専門の教育機関で育てられた選手集団が存在したので、これらは実際の所として「スポーツエリート」以外の何者でもなかった。 これら旧共産・社会主義圏のスポーツエリート達は、国家単位でそれなりに優遇(年金の受給を含む社会保障制度や、一般には認められ難い海外渡航がしやすい等)されていたが、その一方で生活の細部までもを徹底的に「スポーツで良い成績を残すため」だけに管理され、恋愛や結婚もままならなかったという。中には非社会主義圏へと亡命するスポーツエリートまで見られた。(ナディア・コマネチはその亡命スポーツエリートの一人である。ただし亡命は引退後なので、「元エリート」であるが。)
否定的な側面 [編集]
エリートとは一般に、社会に役立つよう訓練されているのが常とされるが、特殊な環境(政治体系や歴史・宗教的背景)の下では、後の歴史に甚だ不名誉な汚点として取り沙汰されるケースも存在する。
例としてはヒトラーユーゲントやナチス親衛隊が挙げられる。これらの人々は、その厳格な規律によって、ナチスドイツの民衆の手本として存在していたが、「人種差別のエリート教育」を施されたがために「人(ユダヤ人、ナチの横暴を指弾する人々や自由主義/民主主義/社会主義者など反体制派、労働/兵役不適格者など国家に資さぬ人々、敵対する連合国軍兵士)を人とも思わぬ残虐行為」を行う事と成り、その悪名は長く語り継がれている。
古くより世界各地に各々の暗殺者としてのエリート教育を行う集団も多数存在し、歴史の暗部に於いて、度々その姿をのぞかせている。
エリートと教育 [編集]
古くからエリートを専門的に教育する機関も多方面に存在する。例えばフランスのグランゼコールは社会的なエリート育成システムである。ドイツではマイスターのように実務を通して伝統的産業の職人を育成する制度があり、スイスにも時計などの精密機械産業分野に於いても似たような制度が見られ、これら高度化された職人が、高級なブランド品の製造産業を支えている。イタリアでは芸術分野に特化したマエストロ制度が存在する。
このほか、ビジネスマンはビジネススクールのような専門化された学校で教育を受ける。
日本のエリート育成 [編集]
日本では明治期以降、東京帝国大学や京都帝国大学などの帝国大学、それに連なる旧制高等学校、「一中→一高→帝大」などと喧伝された東京府立第一中学校をはじめとする各地の官公立旧制中学校のナンバースクール出身者がまず筆頭に挙げられる。また、時にそれ以上の権勢を振るった存在として陸軍幼年学校→陸軍士官学校→陸軍大学校(及び陸軍砲工学校や東京帝大等の学士号以上)や、海軍兵学校成績優秀者(→海軍大学校)出身者が知られている。
他に実業界においては、商科大学や旧制専門学校、法科・実業系の学部を設置した私立大学が官僚・法曹・文化の分野におけるエリートを輩出してきた。第二次世界大戦の終結以降に勃興した地方大学も、地域の企業や地方自治・教育といった各分野で求められる教育されたエリート的人材の輩出を期待されていた。
こういったいわゆる一流大学卒のエリートが社会を主導する体制の功罪はともに大きい。功の面としては、教育によって国民の誰もが社会を先導する機会を得られるようになったことや一定水準の資質を兼ね備えたエリート層が常に社会に補填され続けることなどが挙げられる。一方、罪の面としては、汚職や企業経営・行政運営の失敗、“国を動かしているのは我々”と言わんばかりの民主主義の原則から乖離したような一部の言動などが、しばしば非難される。実際に、高級官僚は学力試験でその一定水準は担保されてはいるが、対して選挙・罷免制度は施行されてない。また、明治期の「野戦型指揮官」の時代と異なり、「学校秀才」による危機管理の際の不手際は恒常化し、行政分野における伝統となった市民無視、対市民規律の欠如[2]、官僚化ないし労働者化した組織内に典型的に見られる無責任の体系としての抑圧移譲の法則[3]、それらに附随したモラル(道徳)の退廃と特権意識、更に、事実上の教育格差を背景とした世襲化の傾向が指摘されている。
脚注 [編集]